■〜石榑峠(2005/05/08 Sunday)
石榑峠とは、国道421号線・滋賀県と三重県境にある峠のことで、一部の国道(酷道)マニアから貴重な存在として語り継がれています。
この石榑峠について色々と書かれたサイトを見て、実に好奇心を駆り立てられた私は、実際に赴くことにしてみました。
自宅からその峠まで、全てを自転車で走行するのは厳しいので、滋賀県まで車で行くことにしました。
route
滋賀県 1日野町(R307) 2八日市市(R307-R421) 3永源寺町(R421)
三重県 4石榑峠(R421)
滋賀県 5永源寺町(R421) 6八日市市(R307-R421) 7日野町(R307)
走行距離69.04KM
最高速度55.3km/h
所要時間2時31分27秒
comment
1:滋賀県蒲生郡日野町にある日野スポーツ公園。
 ここを石榑峠ツーリングのスタート地点とする。
2:R307からR421に変更して5kmほど進んだところ。
 峠の状況を表示する電光掲示板には実にショッキングな文字列が書かれてある。
国道307号線は、アップダウンがある至ってシンプルな国道である。交通量が多いので自転車でのトライはきついが。
さて、写真1のスポーツ公園からR421までは5kmほどあり、途中で永源寺町(今は東近江市)に入り、数分でR421へと着く。
R421は微妙に上り坂が続く。…これから峠に突入すると言わんばかりの雰囲気である。
で、写真2のところで実にショッキングな掲示案内を目の当たりにする。
『三重県側崩土通行止 5月末まで』……おいおい通行止めかよ!!
まあ、三重県側…なので峠まではいけそうである。そのまま走行。
3:永源寺ダム。(ダム堰堤は通らない)
 この辺りから山間部へと突入する。
4:ダムを越えて少々進んだところ。
 まだ走りやすい道といえる。
5:国道として合格点が与えられるような爽快路。
 1kmほどこういった路面が続く。
永源寺ダムと呼ばれるダムへと到着する。ここまで全線2車線だった道が、センターライン無しの1.5車線(写真4)になる。
この辺りから勾配が少々増しだす。
手前には工事中のトンネルがあり、片側通行となっていた。

しかし、この一帯を越えると、また2車線の快走路へと戻る。(写真5)のんびりクルージングを実施したい場所である。
6:幅員2M規制の看板が現れた。

7:電光掲示板でまたもや通行止めの案内が。
 そしてしつこくも幅員2M規制の丸看板が奥に立っている。
峠の惨状を顕示する幅員2メートル規制の看板。ダンプや幅2Mを越すスポーツカーはここで引き返そうと思うはずである。
『大げさに書いてるだけだろ。アマアマだなゴルァ!』と思って行ったらドエライ目に遭いますよ。

で、写真7は何かしらのキャンプ場があるところ。またしても通行止めの表示が。
あの峠にしてこの立派な電光掲示板はヤケにギャップがある気がするが…
で、お約束の幅員2M規制の看板が立っている。
8:車2台離合は難儀しそうな幅員へと変貌する。おにぎり看板が国道を物語る。
 10%級の激坂が所々にある。
9:右上のポツンと立っている
 電波塔らしき建造物の横が石榑峠。
写真7の電光掲示板があるところから写真8のような道路が続くことになる。しかも勾配は結構あり、所々10%を越える難所が控えている。
なお、ここから車離合不可能地点が所々に設置されている。(設置という言い方はおかしいな)
しかもあろうことか、こんな幅員の狭さにもかかわらずにカーブミラーがほとんど無いのである。
登りはいいが、下りは徹底してスピードを出す私にとって、対向車の存在を確認するミラーが無いのは致命的…てか危険。
車でも特に注意しましょう。

なお、通行止めと規制しているにも拘らずに、車が2台ほど私を抜いて登っていきました。こ…こいつらはまさか『峠観光』目的のやつらか?
10:石榑峠入り口。
 麓で通行止めと書いていたにも拘らずに
 停車車両がいくつか停まってある。
 これは一体何を物語っているのか…
11:これぞ超有名、石榑峠の全貌である!!!!
 類稀なるコンクリートブロックゲート。その幅はわずか2M。
 私の自転車を横にして立ててみましたがこの有様。
 自転車全長でギリギリであるこのスペースは度胸試しにはもってこいであろう。
写真2から丸一時間かけて峠へと到着。滋賀県東近江市と三重県いなべ市との県境である石榑峠。
どちらも合併した市であり、もともとは永源寺町と大安町の県境であった。
しかし、東近江市のカントリーサインは張られてあるのに、いなべ市のカントリーサインは張られていないという現状から、
如何に三重県側の道が酷道であるのかということが伺える…(って関係なし?)

で、肝心の石榑峠はというと。
他のサイトで写真は見たものの、実際に見たらそのスペースの狭さに愕然…いや感動。
どれほど狭いか…それを証明せんが為に自転車を横向きに停車させ撮影した。(写真11)
私の自転車は全長約1.7M。それでこれである。
コンクリの間にちゃちなハードルが置いてあり通せんぼしてるが…
このしょぼいハードル一つだけで、十分に道幅を埋め尽くせるところに滑稽な感じが醸し出されている。

しかしまあ…こんだけ通行止めのマーク揃ってるのも珍しいかな。一般公道ではそんなに見かけませんからね、車両通行止のマークは。
12:通行止めの赤文字の横に、明らかに
 後で書いたであろう文字を解読してみる。
 この先バイク本当に通れません
 “本当に…”という単語をつけるからには
 それなりの理由があるのであろうか。

13:三重県側から滋賀県方面を撮影。
 勾配などの路面形状から察するに、こちらからの
 トライは難しそうである。
 しかしまあ…わざわざコンクリートで道を狭める理由
 というのはあるのかどうか。
 なお、左のゲートは写真9の電波塔へ行ける道。
14:幾度となる歴戦者のアタックを物語る
 生々しい傷跡。
 果たして何台の自動車サイドミラーが
 擦られたのであろうか…
 歴史を感じずにはいられない。

通行止めの看板拡大写真。(写真12)横には後付も甚だしい手書きの文字が書かれてあった。解読すると、こうである。
この先バイク本当に通れません
その“本当に”ってはどういうこった?
この3文字に一体どれほどの意味が含まれているのであろうことか…私なんぞでは到底理解できぬのであろう。
しかも、今にも消えかけな筆圧で『バイク』と書かれているところに面白さが感じられる。
過去、通行止めになった時に、原付か2輪かなんかでぶち通っていたおバカさんが居たんだろうか??
どちらにせよ、歴史を感じさせる一筆であることには間違いはない。

写真14は、そのコンクリートの壁を拡大したもの。生々しい傷跡が、石榑峠挑戦者の激闘の歴史を物語る。
やっぱ擦るんですなァ…ご愁傷さんです。

で、ここで写真13を見て頂きたい。
三重県側のR421はアスファルトでなくコンクリート路面となっている。その路面が電波塔への地道にそのまま繋がっている。
そう、この峠は『とってつけたような』感じがするのである。
これは推測だが、もともとこの国道は電波塔へ行くための単なる連絡路だったのかもしれない。
後でこのゲートから永源寺町までの道を造ったのではないだろうか。

ただ如何せん、この日は三重県側完全通行止め(行こうと思えば行けたけどね)だったので、三重県側の形状は不明。
完全に天気が良い日に再度トライすることをここで誓おう…


さて、帰り道…下りである。
前述の通り、カーブミラーが殆ど無いので、対向車が通るたびに私の心拍数が20前後上昇する。
…そうなんです。対向車が通るんですよ。峠に向かって走る車があるんですよ。通行止めなのに…
麓の集落がある所やキャンプ場がある一帯で対向車が来るのはおかしい事ではないんですが、この峠道は他に逸れる道がないので、
ここですれ違うということは、その車は峠に行くしか道はないんです。
通行止めって知ってるにもかかわらずに向かうか〜?実に物好きな連中である。
写真10の停車車両もその一つであろう。工事関連の車両とは思えないしなァ…
(て、OSAKAって書いてあるユニフォーム着て自転車で来てる私はどうなるんだってわけだけど(核爆)


とりあえず事故無しで日野スポーツ公園へと帰還……いや、ここから車で帰らなければならん。
実に温泉入りたい衝動に駆られるが、無駄金は使いたくはないしなァ…てことで、寄り道無しで自宅帰還。